阪神淡路大震災から23年

本日、あの阪神淡路大震災から23年を迎えました。

私も今朝、追悼の思いを胸に、満池谷にある西宮震災記念碑公園へと献花へ行ってまいりました。

あの日、私は東京でサラリーマン生活を送っていました。神戸に住む母から、5時46分の数分後に電話がかかり、「テレビつけなさい! 真っ暗よ! 大地震よ!」とたたき起こされましたが、その時、あれだけの地震という自覚もなく、普通に出社しました。それから時間がたつにつれ、徐々に状況が明らかになり、被災地に電話を掛けたものの、その後は一切通じずに、とても不安な思いをしたものです。

翌日会社に行き、これはただ事ではないということでしばらくお休みをいただくことにして、急きょ、関空までの飛行機に飛び乗り、なんとか被災地にたどり着くことができました。それから数週間、ボランティア活動に加わったわけですが、あの時に見た被害の大きさに、言葉を失い、唖然としてしまったことを、今でもはっきりと覚えています。

あれから23年、私が今46歳ですから、人生にとっても半分以上の時が流れたということになります。しかし、23年という月日がたったことは、被災者にとってあの大震災が過去のものとなった、ということを意味するわけではありません。今も続く、阪神淡路大震災の被災地である西宮市のリーダーを目指すにあたり、私は次のように考えています。

まず、災害に対する意識の啓蒙は、常に行い続けなくてはならず、最大の防災対策は、それぞれの方々の意識にかかっている、ということです。つまり、行政や消防、自衛隊がどんなに立派な防災対策や災害対応を講じたとしても、そこに限界はあるわけです。それぞれのご家庭における平時からの対策、そして地域社会の対応を、しっかりサポートしていく行政を目指していきたいと思います。

次に、阪神淡路大震災は「ボランティア元年」と言われ、そこから日本のNPO活動が盛んになってきたと言われています。市民の生活を支えるのは、まさに市民社会であり、ボランタリーな市民の意識こそが、より住みやすいまちをつくっていくと考えています。私は、新しい西宮市において、市民参画がさらに進み、市民の前向きなエネルギーを引き出す施策を進めていきたいと思います。

そして、今なお、阪神淡路大震災に被災し、人生が狂わされ、個人の力ではどうにもできないような状況にある方たちがいる、ということに向き合うことです。そして、そうした方たちに寄り添う行政でなければならない、それが被災地自治体の宿命であると思っています。

今を生きることに感謝し、今日という日を忘れずに、皆さんと共に前を向いて歩んでいきたいと思います。