あの阪神淡路大震災から、今年で30年の節目を迎えました。今年で100周年を迎える西宮市にとっても、最大級の衝撃的な出来事であり、1146名もの尊い命を失うなど、あまりにも大きな被害に見舞われましたが、市民らはそれぞれ励まし合い、助け合い、当時の市職員も奮闘し、市民と協力しながら、復興に向けて力強く歩み続けられました。
あの日、私自身は東京におり、直接震災を経験しておりませんが、発災直後に被災し興奮した様子の母から電話を受け、テレビをつけて地震が起きたことを認識しました。ただその時は、まさかここまでの被害とは思いもしませんでした。会社に出勤し、阪神間は大変らしいと話してはいましたが、情報が十分にないまま仕事を続け、夜になり被害が甚大であることを認識して、数日後に被災地に入りました。交通網は滞り、数少ない被災地にたどり着く手段は、関空から神戸税関前の間を運行していた高速船でしたが、到着した際の現地の様子に、絶句したことを今もはっきりと覚えています。あの日見た光景、横倒しの阪神高速、軒並み倒壊した家屋など当時の光景は、今も脳裏に焼きついています。
そうした光景と共に、避難所で互いを労わりながら暮らす人々や、多くのボランティア、全国から寄せられる避難物資に、人々の温かさと力強さに、心打たれたものです。あの光景、体験は、自分も人の力になるような人間になりたい、公共に尽くしたいと強く思うきっかけとなり、私の人生にも大きく影響しています。
私が見聞きしたこと、体験したことは、実際に被災された方と比べると、とても小さなものであると思います。ただそれであっても、今なお、私の心に深く刻まれています。震災の体験は人それぞれですし、思い起こすことも人それぞれと思います。それがどういうものであれ、あの震災を意識し続けることはとても大切なのだと思います。
本日は、地震が発災した朝5時46分に、満池谷の震災慰霊公園にて黙祷を捧げました。亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りするとともに、復興に歩まれたすべての方々に敬意を改めて抱きました。現場には早朝にもかかわらず多くの市民の方々も来られ、その中に小学生の姿もあり、心強く思うとともに、この大震災の経験の伝承と地域社会の絆の大切さを改めて認識したところです。この30年という節目に、私たちはあの日に思いを馳せ、たゆまない防災減災の備えに努め、前に向かって歩む思いを皆と共有する、私も全力で職務にあたっていきたい、そう強く思います。