一市長選挙を党勢拡大のチャンスと位置付けるのは大間違い、維新は「勘違い」を認識すべし

11月20日、西宮市のお隣、尼崎市の市長選挙において、勇退する稲村和美市長の後継候補である前教育長の松本眞さんが、見事に当選を果たしました。松本さんが教育長時代に積み重ねた実績を横目に見て参りましたから、彼の手腕をよく理解しています。これから、尼崎市が特に教育や子育て分野において、これまでにも増して前進することが期待されますが、このことはお隣同士の「善政競争」が加速される機会になるものとして歓迎したいと思います。

 さて、今回の市長選挙においては、またもや日本維新の会が公認候補を立てて選挙に挑まれました。これは、私が3月に経験した西宮市長選挙と近い構図であり、維新が大阪以外で初の首長獲得となるか、と注目されたこととも共通します。そして、その市長選挙を党勢拡大のチャンスと位置付ける試みは、またもや打ち砕かれることとなりました。ある意味で当然のことであり、私は敢えて、一市長選挙を党勢拡大のチャンスとすることを、維新の「勘違い」と呼び、この勘違いを認識して是正してもらわなければいけないと、強く思います。

 私自身、維新の会には多くの友人知人がおり、必ずしも特定政党に属すからと言って、自動的に忌み嫌う、ということはありません。国民や市民のためにいい政治を実現したい、そうした思いはごもっともであり、国も地方も昭和の時代から変わらないパワーバランスではない、新たな勢力が伸長していく必要性を私も感じています。さらに言えば、私は2009年から衆議院議員として活動していましたが、私の属した民主党出身の多くのかつての同志が、いまは維新の会で活動しています。彼らとは、昭和から脈々と続いた政治風土を変えたいという思いを今も共有していると思っています。もっと言えば、2018年の西宮市長選挙においては、維新に属する議員の方々や維新支持層の方が、私の支援をしてくださいました。108票差で勝ち切ったあの選挙において、あの支援がなければ、今の私はありません。だからこそ、私なりに西宮市政の改革にも真摯に取り組み、市政においては維新会派議員の提案も、よいものは受け入れて実行してきたつもりです。

 ところが、最近は大きく変わってしまいました。特に昨年の衆議院選挙以降の維新の傲慢さは、あまりにも目に余り、これを「勘違い」と呼ばずしてなんというか、という感じです。それ以前も首をかしげるようなことはありましたが、それが酷くなったのはこの一年です。私が対峙することとなった2022年の西宮市長選挙においては、相手陣営はしっかりとした政策争点もあぶり出すことができず、数少ない(と思います)傷口に無理やり塩を塗り込みながら、緑のジャンパーを着た市外からの勢力が、穏やかな西宮の街に、まるで土足で乗り込むかのように大挙して押し寄せました。ビラも大量にばらまかれていました。その多くは党機関紙号外として、所属している国会議員の支部の発行物として出されており、これは自然に考えると政党交付金が充当されていると思われますが、そうであれば国民の税金を原資としたお金で特定の市長選挙に関してお金を注ぎ込むこと自体、維新が一番嫌う「税金の無駄遣い」でないかと思ってしまうほどでした。

 これもそれも、「大阪外で初の維新首長誕生」という彼らなりの大義を実現するための活動なのでしょう。しかし、これは大いなる勘違い、というほかありません。特定政党の首長が誕生すればその街はよくなる、というのはあまりにも短絡的と言わざるを得ません。

 3月27日に西宮市長選挙の結果が出て、翌日にその敗因を問われた松井大阪市長や吉村大阪府知事は、「現職に失点がないと、なかなか首長を取るのは難しい」「兵庫維新の日頃の活動量が足りない」ということを言われていました。西宮ではそういう解釈だったのでしょうが、今回の尼崎は、新人同士の戦い、そして活動量は、組織的動員をかけまくった維新の方が上回っていたと考えるのが自然です。そしてこの結果が導かれました。となると、西宮の結果も含めて、維新の敗因は「一市長選挙を勢力拡大のチャンス」と位置付けることが大間違い、ということに他ならないのではないでしょうか。

 よい政治を目指すために政治家が一生懸命活動するのはとても結構なことです。ただ、その一生懸命のエネルギーの使い方を間違えてしまっては、不幸になるのは国民であり、市民です。かつての同志が今なお多く所属する維新、そしてこれだけの勢力を持つ維新の皆さんが、西宮に続く尼崎の結果を真摯に受け止め、真に国民や市民のための決断、行動ができる政党となることを心から願うものです。

維新の方へ。もし必要とあれば、維新政治塾に講演に参ります。その際は、どうぞ躊躇なく、お声掛けください。

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