深みある茨城県への訪問 自らとの浅からぬ縁を感じて

この週末は、先日亡くなられた大切な方の偲ぶ会に出席するため、水戸に行って来ました。水戸黄門が有名な徳川御三家の地ですが、この機会に私自身が勝手に縁深いと感じる地を訪れて参りました。交通手段は、神戸空港から茨城空港までひとっ飛び✈️、早めに予約できた行きは一万円を切る価格でいけたので、とてもハッピーな気分です😀

何はともあれ水戸と言えば、私的には盟友の福島伸享衆議院議員ですが、まずは彼の事務所を訪ね、茨城県の政治状況などレクを受け、政治談義をした後に、彼の選挙区である笠間市に向かいました。笠間市では、住民パワーで地域活性化を実践されている方々と触れ合い、名産の産品である栗🌰の収穫を祝うイベントなど視察させていただきました。行政の関わり方もそれぞれ特色があり、とても興味深かったです。また、福島代議士本人から頼まれてもいないのに、選挙区割の変更で新たに加わった地域を数十件、後援会拡大すべく一件一件訪ね歩きました。そんな時間あれば西宮市内を訪ねろと突っ込まれそうではありますが、全く地縁のない地域を回ることは、政治家としての感性を磨く上でとても貴重な鍛錬であり、また政治活動は一種の文化人類学、社会学でもありますから、他の地域でのこうした積み重ねは、西宮に戻った後でもとても生かされる、そう実感しました。こうしたことを論文にでもできたら面白いのでしょうねぇ、、。時間が出来たら書きたいと思います!、リアル政治家でないと書けない視点、我ながらすごくあると思いますので!

夜は笠間市の友部駅前にある居酒屋の大都会さんで、福島代議士と後援会の皆さんと懇親させていただきました。遠路やってきた珍客を温かく迎えてくださり、感謝感激です🥲 なんとこのお店は、天上に旅立った石井一が、神戸の大支援者K川さんに連れられて幾度とやって来たお店で、店主さんもオヤジの思い出を温かく話してくれました。最後は全国区で活動したこともあり、あちらこちらでこうしたご縁があったこと、そして私をまるで旧知のように迎え入れてくれたことに、感謝であります。

笠間市では、自らレンタカーを運転し、親鸞聖人が20年もの間過ごした、西念寺を訪れました。我が家の菩提寺が浄土真宗ということもあり、昨年にオヤジを見送ってから、より学びを深めたいと、寸暇を縫って仏教など学びを深めています。先日まで京都国立博物館で開催された親鸞聖人生誕850年記念展にも足を運び、ある意味、宗教界の「革命児」たる親鸞聖人の生き方に興味をそそられておりました。その革命児たるがゆえに京を離れ、20年もの間過ごされた地は、ある意味で親鸞聖人の思想の基盤を作られた土地とも言え、笠間市に行くことになったことは、もしかしたら親鸞聖人がお導き下さったものと、気張って参拝いたしました。門徒1000万人とされる浄土真宗の開祖に深い縁あるお寺ですが、思ったよりもはるかに静かに参拝することが出来ました。関西と関東の浄土真宗の普及度合いによるものなのでしょうか、あの京都の賑わいを見た者としては、結構衝撃的でした。現地のご事情はよくわかりませんが、是非この価値をうまくお広めいただいたら良いのではと感じました。

さて、偲ぶ会に参加した後、一日に3便のみの茨城神戸便の時間をいただいたので、ふと思いつき、潮来市を訪ねることとしました。潮来市は、あれですアレ、「いたこぉ〜のぉいーたろぉぉぉ〜🎵」の潮来と思われますが、なかなか行く機会のない土地です。ただ、私にとって、いや、石井家にとってはとっても重要な方の土地が潮来であります。

それは、佐藤内閣の官房長官であり、建設大臣や運輸大臣を歴任された、橋本登美三郎先生の御地元であるということです。石井一は、田中角栄先生の後押しによって政界に足掛かりを得た、と言っておりますが、それ以上に目をかけていただきご指導いただいたのは、田中内閣において自民党幹事長を務められた橋本登美三郎先生だと、生前ことあるごとに話しておりました。登志郎の「登」は、橋本登美三郎先生の「登」でもある、そう言っておりましたから、橋本先生の足跡に触れること、それはまさに私自身のルーツのひとつなのかなと思い、いたこのいたろう、いや、潮来市に向かいました。

ネットで検索すると、潮来町長を務められた登美三郎先生の顕彰碑が、潮来の稲荷神社にあるとされています。まずはそちらに向かいました。高台にある神社の一角に、先生の顕彰碑があり、在りし日の面影も感じることが出来ました。
続いて、これまたネットで検索したのですが、登美三郎先生の後継として歩まれる額賀福志郎代議士のホームページに、潮音寺というお寺に橋本先生の供養碑に関する記事があり、行ってみることにしました。よくわからずに行ったのですが、とにかく行って素晴らしくよかったです。そもそもこちらのお寺は、もともと湖沼か沼地だった当地が新たな町となる際に、地域の人々の心を繋ぐために橋本先生が中心となって創建された寺だそうで、その際に橋本先生が指導を求められたのが奈良薬師寺であり、開山の際には、高田好胤薬師寺管主が御供養されたそうです。高田好胤管主は、ことのほか石井一に愛を持って厳しくご指導いただいた方です。往時の石井一後援会では、神戸からバス数十台を連ねて薬師寺に行くのが後援会の名物行事だったそうです。高田好胤管主が旅立たれた際に営まれた法要には、当時大学生か何かだった私も、石井一の鞄持ちでついて行ったことがあります。なんとまあ、ここでこう繋がるものかと、感動しました。また、ご住職ともお話しさせていただき、橋本登美三郎先生の、地域に対する愛情、そして積み重ねられた実践、当時の橋本後援会の凄まじい勢いを聞かせていただきました。こうしたお話に触れると、私はまだまだだなあ、もっと頑張ろう!、と、かなり自分としては鼓舞された遠征でした!

ご縁いただいた皆様、ありがとうございました!

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