奄美群島日本復帰70周年記念式典

西宮市が友好都市提携を結んでいる奄美市とのご縁で、初めて奄美大島を訪ね、当地で開催された奄美群島日本復帰70周年記念式典に参加して来ました。

奄美大島、徳之島、喜界島、沖永良部島、与論島などからなる奄美群島は第二次世界大戦終戦後、沖縄と共にアメリカ統治下に置かれ、その間、本土との行き来は叶わず、また経済も困窮し厳しい暮らしを強いられたそうです。そうした中、島民らの熱烈な日本復帰への運動が実り、終戦から八年後の1953年12月25日に復帰が実現しました。この日の喜びと未来への思いを寄せ合う島民の皆さんの姿に触れられたことは、国家の大切さを実感する、貴重な体験となりました。ご招待いただいた奄美市さんに、心から感謝申し上げます。

奄美市と西宮市との縁は、日本復帰後の昭和30年代に、西宮回生病院の菊池医師らが、医師不足に悩む奄美大島を定期的に訪ね、集落をまわり、島民の診察をして回ったことから交流が始まり、そこから奄美市の前身である名瀬市と西宮市が友好都市提携を結んだことに始まります。また、奄美群島からは多くの島民が関西方面に就業し生活していることとも無縁ではありません。こうした縁は、今も紡がれ続けており、市内の学生らが毎年同市を訪れるなど、貴重な体験をさせていただいております。

式典と懇親会に参加させていただきましたが、島の高校生が司会進行を行い、各島の音楽や踊りが披露されると共に、実行委員長である安田奄美市長の心のこもった挨拶など、とても素晴らしいものでした。郷土への誇りと愛を感じ、心に沁み入るものでした。安田市長にお聞きしたところでは、未来を担う子どもたちが主役となる演出を心掛けたそうですが、私たちもとても参考になると感じた式典でした。

空港までの帰り道には、西郷隆盛が三年ほど過ごした小さな家を訪ねました。錦江湾に僧月照と身を投じましたが蘇生した西郷さんは、島津斉興の裁量で幕府には死亡したと届け出、奄美大島に潜居します。その後、維新を成し遂げ今の日本の礎を作ったとも言える西郷さんが、どのような景色を毎日見ながら過ごしたか、少しではありますが思いを馳せることができたのも、よい訪問となりました。ありがとうございました!

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