政治家・石井登志郎にとって、一番の恩人である越智一雄先生(元兵庫県議会議員、元西宮市議会議員)がお亡くなりになられました。越智先生なくして、西宮市において私の政治家としてのスタートはあり得なかった、本当に御恩のある方です。
今から20年前、私は国政への挑戦を決意し、西宮市と芦屋市からなる兵庫七区において衆議院選挙の候補者として活動したいと考えていました。当時、民主党の候補者として活動したいと考えていた私に立ちはだかっていたのが、兵庫七区を地盤とされる土井たか子元衆議院議長でした。非自民勢力がおられる選挙区で活動しようとする私に対しても厳しい視線が投げかけられる中、私の背中を、最初に、そして一番強く押してくれたのが、越智一雄先生でした。当時の民主党本部、そして兵庫県連執行部は、私の公認を渋っていましたが、常任幹事会において怒号を飛ばしながら、私の公認を身体を張って主張していただき、道を開いてくれたのは、越智一雄先生でした。
若い政治を志す者が、真剣にこの地で勝負をしたいといっているのを、なぜ支えないのか、なぜ戦わないのか、そう語る越智先生は、誰もが思う、一途で頑固で筋を曲げない先生でした。そんな越智先生だからこそ、組織の論理を打ち破り、私の未来を開いてくれることができたのだと思います。
私が衆議院選挙に挑戦した際には選対本部長を務めていただきました。後でご家族にお聞きした話ですが、選挙後に2週間も寝込むほどに私の選挙に没頭してくださったそうです。世間知らずの私の防波堤となり、最大の理解者、支援者として常に守ってくださり、最大限のサポートをしていただきました。西宮市において何者でもなかった私は、越智先生が築かれた信頼のもとに活動することを許され、今日まで歩むことができました。
2005年の初陣で落選した私に、石井くん、キミなぁ、次までに結婚せなあかんで、落選中に嫁さんに来てくれる人見つけられたら、あんた、いけるで、と言われたような記憶がありますが、その言葉にも後押しされ、落選から1年半ほどして、結婚することができました。そのご報告を一番に喜んでいただき、婚姻届の証人となっていただいたのは、越智先生ご夫妻でした。公私共に、何から何まで気にかけてくださり、いやな顔ひとつせずに、私を受け入れ、育ててくださいました。
お別れの場で、政治家としてのご功績と、越智先生の以前と変わらぬ穏やかな表情、そして温かくご家族に囲まれているお姿に触れることができました。人にやさしく、政治家として愚直に歩まれ、多くの人から信頼をされ、ご家族に愛されながら見送られる越智先生の人生は、本当に豊かで、素晴らしいものであったと思います。
越智先生が託していただいた信頼の絆をしっかりと紡いでいくことで、御恩に報いたいと思います。越智一雄先生、本当にありがとうございました!
2009年8月30日、衆議院選挙に勝利し、越智一雄選挙対策本部長とともに万感の思いを込め万歳させていただきました