安倍晋三元総理大臣が、奈良市内における街頭演説中に突然の凶行によって逝去されてから二か月半が経過を致しました。そして9月27日には、国葬が執り行われます。その国葬に際し、どうした対応をとるか、既に新聞等で報道されている部分もあるようですが、石井登志郎としての対応と、西宮市としての対応についてお伝えしておきたいと思います。
まず、27日の国葬については、私自身が出席をして安倍晋三元総理に最後のお別れをさせていただく所存です。私は元衆議院議員としてご案内状をいただきました。西宮市の市長にはご案内はいただいておりません。ですので、私の出席は市長としての公務としてではなく、その旅費等は西宮市の税金から支出されるものではありません。
私が出席する理由は、安倍晋三元総理と石井家とのご縁からです。私と安倍先生は、共に社会人生活を神戸製鋼所でのサラリーマン生活からスタートしました。私が衆議院議員時代に、国会開会日に正面入り口前で天皇陛下を立礼でお迎えする際の待ち時間に、神戸製鋼所時代のことや共通の知人である同僚の話をさせていただいたこともありました。また、6月に旅立った父・石井一とは、総理に復帰された安倍先生と、当時の参議院予算委員長であったことから、相当濃密に仕事をされていたようです。そうしたことから、安倍先生からは6月の葬儀の際に、ご丁寧な弔意を賜り、父の見送りに花を添えていただきました。そうした縁ある政治家が、今回のような凶行によって一命を奪われたわけですから、その最後のお別れの機会に参列することは、特別なことではないと考えています。
一方で、西宮市の対応ですが、27日当日、本庁舎はじめ市長部局においては半旗を掲げ、弔意を示したいと考えています。7月12日に増上寺で葬儀が行われましたが、この時は家族葬のような形式だと聞いており、また後日に公式の葬儀があると聞いていましたので、その際は見送り、今回の半旗掲揚と致しました。市としてはこれ以外に特段、対応を予定してはおりません。よって、何ら予算支出は発生いたしません。尚、市長部局以外については、市長部局が半旗掲揚をする旨告知を行い、それぞれの執行権者で対応を判断することとなります。教育委員会からは、特段、各学校園に半旗掲揚を促すような通知は出さないと聞いております。
最後に、私の気持ちの一端を記したいと思います。まず、私自身が個人として国葬に参列すること、そして市としては半旗を掲揚すること、この判断に対する評価は、いかようにでも受けたいと思います。ただ、この度の安倍先生の余りにも突然で残忍で無念な最期を見送るにあたり、国全体がこうした異様な空気に包まれていることに、本当に悲しく思うものです。
もちろん、政府も酷いものです。国葬決定の根拠にせよ、中曽根元総理の内閣葬の際には自治体に半旗掲揚を求めながら格上げのはずの国葬では求めずに自治体に判断を委ねる一貫性のなさなど、無茶苦茶と感じることが多々あります。ではありますが、だとしても最後のお見送りの機会に抗議のため参列しないというようなことにはなりません。それとこれとは、別問題です。
ましてや、街頭演説中に銃撃されての暗殺です。私も数百回、いや、何千回も街頭に立って政治活動をしてきました。罵声を浴びせられるとか、唾を吐きかけられたこともあります。ただ、そうして立ち続けて、思いを伝え続けて今の私があります。不完全かもしれませんが、我が国の今の政治の大前提となっている民主主義の根幹ともいえる街頭演説の最中に元総理大臣が暗殺される、恐ろしい事態ですし、尋常ではありません。今の政治や安倍さんの功罪に対して多様な意見があろうとは思いますが、せめて27日は穏やかに見送るわけにはいかないでしょうか。議論はそのあとにでも、いくらでもできるはずです。
以上、27日に行われる安倍晋三元総理大臣の国葬への予定しております対応と、私の考えの一端とさせていただきます。
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