西宮市議会議員の宮本かずなりさんが、突然、天に旅立たれました。金曜日に議会内での会議中に倒れられたと連絡を受け、奇跡を願い続けておりましたが、日曜日の朝、帰らぬ人となってしまいました。脳幹出血による死で、あまりに突然の別れとなりました。私と同学年の49歳、無念、まさに無念の一言です。
宮本さんとの出会いは、宮本さんの市議会議員選挙直前でした。その頃、よく行く整骨院の院長が、「市長、宮本一成さんって知ってる? 整骨院仲間なんだけど、通るかなぁ? 何かアドバイス、ない?」と聞かれ、「うーん、ここまでくると奇策はないですね。甲子園球児のように、まっすぐに一生懸命、本気です!、ってオーラ出して街頭出るんでしょうね。」と返しました。
それから三日ほど経った後、甲子園口の駅を降りてテクテクと自宅に歩いて帰ろうとしていた時、真っ暗な駅前で「市議会に挑戦します! 困った人、支援が必要な人、そうした人の声を届けます! 新人です! 全力で頑張ります!」と、地声で、本気オーラを出した候補者が甲子園球児のようなまっすぐな活動を、たった一人で行っているのが目に入りました。それが、宮本さんとの初めての出会いでした。
宮本さんは、私を見つけ、「あ、市長さんですか? Kさん(整骨院の院長)通じて、アドバイス聞きました! 甲子園球児ですよね! もう、一生懸命やるしかないってことかと思って、頑張ります!」と声をかけてくれました。人づてで伝えたアドバイスを素直に実践する姿に触れ、この人はイケる、そう確信をしました。
そして宮本さんは2039票を獲得、見事に市議会議員に当選を果たされました。
市議会での本会議質問はこの6月議会まで二年間で五回、精力的に本会議質疑にも立たれました。宮本さんの質問には、市民の声に裏付けられたリアリティがありました。本や新聞の知識の受け売りではなく、流行りの質問をするわけでもなく、難聴者としての自らの体験や、ご自分の患者さんから聞いた困りごとを、市議会で取り上げられました。当局の立場からすると、厳しい、しかし至極真っ当な質問もされ、宮本さんの質問の後ろに控える市民の顔が思い浮かぶような、そんな地に足のついた議員活動をされておられました。
この6月議会においても、介護保険の対象外となる40歳未満の方が、末期がんとなり在宅生活を送ろうとする際に、西宮市には支援策がないことを指摘し、制度を設けるべきとの質問をされました。私はこの制度が西宮市にないことを知らず、宮本さんに知らせてくれたことを感謝し、若年者のターミナル支援制度を本市においても導入すると答弁しました。
こうした、宮本さんの細部に行き届く姿勢、その質問は、私だけでなく市職員の心も動かしてきました。
今年の3月市議会一般質問では、宮本さんから「認知症にやさしい図書館」の取り組みについてご提案いただいた市立図書館では、早速その提案を行動に移しました。職員皆で認知症サポーター養成講座を受講し、約80名の職員が認知症サポーターとなりました。また、これを契機に、様々な障害のある方を支援するため、社会福祉協議会「あいサポーター」養成講座の受講も予定し、温かな優しい図書館をつくりたいと動き出しています。これも宮本さんの質問が市職員を動かした功績です。
宮本さんは難聴でいらっしゃった。一方で、宮本さんは障害者の声、地域住民の声、高齢者や弱者の声を、耳を澄まして聞く思い、力がありました。私たちが気づかない課題を、宮本さんはしっかりと聞き、真摯に役所に届けていただきました。私よりも、よっぽどよく聞く耳、いや、心があった。彼の姿勢や言葉には、まわりのすべての人に対する、愛がありました。
質問を取り上げるに際しては、「市長、こんなこと聞いたら、市長が困りませんか?」「市長、部長や課長はこういうのですが、どうしてもその答えだと納得できないので、本会議で取り上げてもいいですか?」と折に触れて私に聞いてくれました。
「宮本さん、何を聞いたらいかんとか、私が困るとか、そんな気遣いはなくて大丈夫ですよ。思ったことを思った通りに聞いてください。ただ、聞き方をこういう風にしてもらうと、所管も受け入れやすくなるし、こちらも前向きな答えがしやすくなります。」と言ったやり取りもさせてもらいました。
こうした気遣いをしてくれる宮本さんは、私にとって心から信頼できる一人でもありました。
本日、彼のお別れの式典に、友人として参列させていただきました。キリスト教徒であった宮本さんを、教会においてご家族はじめ、愛する方々とともに最後のお見送りを致しました。
正直なところ、神様が本当にこの世にいるのならば、なんと神様は無慈悲なのだろうと思わざるを得ません。ただ、見えもしない、答えも返ってこない神様にいくら恨み言を並べてみても、宮本さんは戻っては来ません。神父さんが言われたように、今後の宮本さんが天上で平穏に過ごせることを神に祈るばかりです。
そして、私たちのできることは、宮本さんと共に過ごした時間を風化させるのではなく、彼が議会を通じて市に届けようとしたことを我々が胸に刻み、その思いの実現に真摯に取り組むことであろうと思います。
宮本かずなりさんと言う議員が西宮市議会にいらっしゃった、彼は旅立ってしまったけれど、彼がいたこと、彼が残したことが確かにあること、それを一人でも多くの方に知らせたい。それが、彼の無念に報いることと思い、この文章を書きました。彼の言葉は今も、西宮市に残っています。その言葉に向き合う限り、宮本さんの思いは、西宮市で生き続けます。
宮本かずなりさん、本当にどうもありがとうございました。そして、さようなら。安らかに、お眠りください。
2021年7月6日
西宮市長
石井登志郎